2020年5月11日月曜日

六所神社 in 豊後高田市 【 準公式ブログ 】

宮司のつぶやき ブログ

           【 11月12日 臨時更新 】
                                 
   
〇 11月11日「〇〇の日」(思い思いの記念日を入れて下さい)の、近隣風景です。



〇 秋が深まってきました。境内の銀杏の木の、上方が黄色に色づき始めました。周囲の山々も、少しずつ色づいています。中山仙境を訪れる方が、紅葉を愛でる日々が訪れています。足元に気を付けて。ハチの活動は少し収まりつつあります。マムシや野生獣は、これからも活動的になります。楽しみの中にも、どこから危機が訪れるが分かりません。お気を付けて、晩秋から初冬に向けての1ヶ月を楽しんで下さい。

〇 10月2日(日)午前9時30分から豊穣祭の神事。秋の収穫感謝と悪疫退散を祈願し、続いて10時から、夷里神楽保存会による神楽を奉納しました。



〇 舞添えを頂きました。(事前に、舞添料をお渡しています)

〇 参拝された方で、「御朱印」を希望される方は、社務所入口右手に申込書を置いてあります。後日、郵送致します。申込日から2週間程度かかることもあります。御了承下さい。

【 六所神社の紹介 】
( 鎮座地 )大分県豊後高田市夷1028番地
( 創建  )養老2年 (平成30年に創建1300年を迎えました)
( 御祭神 )伊弉諾命、八十禍津日神、大直日神、表筒男神、中筒男神、底筒男神
( 末社  )賀来社、太子社、夷社、大綿積社
 国の名勝「中山仙境(夷谷)」に鎮座しています。2つのお寺(霊仙寺、実相院)と並んでいますので、初めて来られた方は、当社をお寺と勘違いするかもしれません。

 当社の御神木は「六本杉」です。その言い伝えの概略を、以下に述べます。
 足利尊氏公が都での争いに敗れ、九州・国東半島に落ち延びた時に、当社に於いて戦勝祈願として六本の杉を植えたそうです。その後、尊氏公は兵力を増強し、都へ入ります。そして、1338年(暦応元年)、征夷大将軍となり、祈願が成就しました。

 数百年にわたり御神木として敬慕されてきた六本杉は、昭和52年、残念ながら枯れてしまい4本を伐採、平成元年に残る2本を伐採しました。昭和55年に、後継の杉が植えられ、現在の御神木として元気よくそそり立っています。


 上の写真は、4年前の1300年祭でライトアップした時のものです。

〇 お旅所は、本社から北に、車で2分の所で、「楽庭(がくにわ)」と呼ばれています。国東半島には、何か所も「楽庭」という地名が残っています。しかし、大分県内の他地域にはありません。明治期までは、五穀豊穣・虫害防除のために神社境内で、楽打(がくうち)と呼ばれる太鼓踊りが、各所で行われていました。現在まで残っているのは、国東市武蔵町に残っている「吉弘楽」のみとなっています。当社の「楽庭」では、明治期まで8月頃、トリの羽根などを頭に刺して、太鼓を叩いて踊っていたそうです。【 以上、出典は和歌森太郎編「くにさき」(吉弘弘文館、昭和35年刊) 】
〇 当神社では、4月の麦祈祷での神楽奉納、9月の賀来社のご神幸、10月の六所神社ご神幸で御旅所を訪れます。

 【 年間祭事紹介 】
 〇 古札等焼納祭
  1月15日、お預かりした「お札」「お守り」等をお焚き上げ致します。お焚き上げ場所を注連縄で囲み、総代・宮番他が参列します。

 〇 麦祈祷
  4月第1日曜日(2日~8日)に、「楽庭(がくにわ)」と呼ばれるお旅所で斎行します。麦をはじめとした穀物の豊作を祈願するお祭り。夷里神楽保存会により、岩戸神楽が奉納されます。

 〇 賀来社神幸祭
 末社(御本殿に向かってすぐ右)の賀来社--御祭神は天迦久神、道開きの神です。本来は、9月10日・11日に、例祭と神幸祭を行います。お旅所に到着した夜は、例年ならば地区の皆さんによる「奉納踊り(盆踊り)」を行い、神様に披露します。10年程前までは、翌日、子供相撲を開催していました。

 〇 六所神社神幸祭
 本来は10月8日・9日に行います。大人と子供の神輿が出御します。1日目は本社からお旅所まで。お旅所に到着した夜は、例年ならば地区の皆様の演芸大会を奉納、翌日午前中は地区対抗のゲートボール大会で、午後、2基の神輿が氏子地区を巡ります。

※ 御朱印の頒布について
 御朱印は、当社に直接参拝された方への「証明」という意味がありますので、ネット・郵送等での申し込みは受け付けておりません。悪しからず御了承下さい。

(次回定期更新予定 11月15日)